食品工業の失敗学

はじめに
食品工学を学んだ人向けに書いてあります。 なるべくやさしく平易に書いていますが、素人さんにはちょっと難しいかもしれません。 判りやすくするため に、事実と違うことが含まれている話もあります。

ある日本の惣菜工場と外国の冷凍野菜工場の戦い。

日本のある惣菜工場、外国から冷凍カット野菜を輸入して、日本の自社工場で惣菜に加工していました。 そもそも、その会社が某A国産の冷凍野菜を原 料に使いだしたのは、たまたま入手したサンプルが彼らの求めているものにぴったりだったからです。

満足した日本の惣菜工場は翌年もその工場から同じ冷凍野菜を購入しました。 ところが今度は日本から、その冷凍野菜工場へクレームが山と来ました。  
その内容は、

毛髪混入(そりゃ、お怒りは、ごもっとも)
異物混入(ステンレス製の安全グローブの鎖でした)
細菌数が多すぎ(日本の食品衛生法には合致している)
サイズがバラバラ
その他の品質が悪い
と云うものでした。

はじめの2点、異物混入は、万国共通で、いけないことです。 しかし、他の点について、この日本の惣菜工場のクレームはA国の冷凍野菜メーカに理解してもらえませんでした。

細菌数

「日本の微生物規格はパスしているのに、なんで怒られなきゃいけないの?」 と云うのがA国冷凍工場の言い分。 
「去年より微生物数が倍も多いじゃないか! おまけにNZでやった大腸菌検査の結果が「10/g未満」であって「陰性」では無いのはケシカラン」と云うのが、日本側の言い分。
「ダーラム管での陰性陽性確認定性試験なんて、そんな過去の方法で試験できるか馬鹿野郎」というのがNZ側の言い分。

解説
さて、その野菜は過熱後摂取冷凍食品(冷凍前未加熱)、つまり、「冷凍する前に湯通ししたけども殺菌できているほどには茹でてない野菜で、調理するときに 茹でてください。」という製品です。 下の図の日本の食品衛生法の基準の赤い字の部分に当たります。

 

生菌数/g  

大腸菌群 

E.coli     

無加熱摂取冷凍食品 

 10万以下

 陰性 

 規格無し  

加熱後摂取冷凍食品

   

  (凍結前加熱食品)

 10万以下

 陰性 

 規格無し  

   (凍結前未加熱食品)

 300万以下

 規格無し

 陰性 


    
日本のお客さんの言い分は、去年の製品は生菌数がグラムあたり1000個だったのに、今年は2000個もいる。 と云うものでした。 これだけ細菌数が少 なくても増えれば気に入らないのは日本のお客さんならではですが(外国の業者に厳しい)。 
NZの工場が「ではどれくらいの細菌数ならOKですか?」と聞くと「少なければ少ない方が良い」との返事。
細菌数を少なくする為には、工程を変えればよいですし、ライン洗浄の回数を増やせば可能です。 ただし余計にコストがかかりますが。 
西洋の産業の世界では、「コストが上がるのはイヤだ、でも品質を上げろ」と云うのは購入量を倍に増やしてくれるならともかく有り得ません。 (日本でも有 り得ないですが、日本の商文化はそこら辺の誤魔化しが上手)

一方、大腸菌群ですが、日本の検査方法は、日本の食品加工業の内のかなりレベルの低い施設でも合格できるように採用され続けていると思われるよう な、極めて精度の悪い方式です。 感度が悪ければ大腸菌がいても検出できないから「合格」になると言う理屈。

この方法は液体培地の中にダーラム管と云う小さいガスを集める管を入れて培養し、培養後にダーラム管にガスが溜まっていたら陽性(=大腸菌が存在する)、 ガスが無かったら陰性と云う試験方法です。 これをBGLB培地法と言いますが、菌数が少ないとガスの有り無しは曖昧で、都合良く「判断できる」試験方法 でもあります。 (何しろ1920年に開発された方法)
世界標準では選択培地で大腸菌群も大腸菌も定数検査が一般的です。 定数試験の結果は、希釈倍数によって<300/gとか<10/g等となるのは農業高校 の生徒でも知っていますが、この「以下」と云う表現が「陰性」とイコールの意味でないと言って、文句を言う日本の食品輸入者の多い事といったらありませ ん。

「陰性=存在しない」と考えている食品工業関係者が多いのがその原因です。 生化学系の教室で液クロ、ガスクロ、プラズマアナライザーなど使った事 がある人は検出限界について知っていると思いますが、検査機が検出できなかっただけで、存在しているかもしれない状態を「検出限界以下」と表現します。  「陰性」とは「検出限界以下」と云う意味でありゼロでは無いのですが、、、、
率直に言って、まことに残念ながら、食品工業の人って、「頭良くない人」率が他の工業に比べると高いです。

サイズが違う! 品質が悪い!

野菜は天候により収穫物の品質やサイズが変わります。 当たり前です。 この冷凍野菜は、初めの年は単純に8等分にカットして茹でて冷凍したものでした。  翌年、去年と同じでいいといわれたA国の冷凍野菜工場では、去年と同様に8等分して生産しました。 但し、その年は天候不良で、収穫した野菜は、かなり 小粒でした。

日本の会社の言い分。 
 小さすぎるんだ馬鹿野郎。

外国の冷凍工場の言い分。
 去年と同じカットで良いって言ったろ!

解説
これまた典型的な日本の食品会社からの苦情例です。 最適なカットサイズ、カット方法を明らかにせずサンプルと違うと言って苦情を言う。
作る側にしたら、何故苦情が来たかわからない。
似たような話で、品質が悪いと言うのも

日本の会社の言い分。
 去年より糖度が低い、澱粉価も低い。 美味くない。 色が悪くて見栄え悪い。

冷凍工場の言い分。
 糖度10あれば十分だろ! だいたい美味いじゃないか。 見栄えなんて味はいっしょだろ!

この馬鹿騒ぎは更に数年続き、冷凍野菜工場側はスペックがないと製品が出来ない! と宣言し。  惣菜工場側はスペックは供給業者が作るものだと信 じているからブチギレ。 という状況になりました。

結局、知り合いの冷凍工場から泣き付かれた私の結論は。 
お客様は神様。 但し神様(お客さん)の論理を人間(西洋人)の理屈に通訳してもらわないと、生産側は困る。 とりあえず、自分たちが生産している上での 生産規格書を作業方法も込みで数値化して神様に見ていただきなさい。
足りない部分は神様(惣菜工場)が足すだろうし、過剰だと思われる部分は甘くするでしょう。 規格が厳しくなれば値段も上がるのは当然ですから神様も無難 なところを狙うでしょう。

微生物規格については試験方法を明示して、その検査方法での最大許容値と、目標菌数を明示する。
カットについては、原料野菜の大きさによってカット方法を変えて、大きさの受け入れ基準に幅を持たせました。
関東と関西でさえ美味しさの基準が違うのに、NZ人に日本人の味覚を求めるのは不可能です。 そこで、どういう加工方法をとったら、そういう味が再現できるのかというKPIを定めました。

そして出来上がった製品規格書に双方が署名して出来上がりです。

日本における食品原料供給契約書には、「品質の良い製品の供給に努める」と書いてあって、殆ど数値目標が無い物が見られます。 
互いの価値観で品質の意味が大きく違ってくる海外とのビジネスで、抽象論を契約書で語っても全く無意味です。
多くの海外ビジネス撤退会社の典型的失敗は殆どこの誤解から生まれています。

ある意味、不可能に挑戦し続ける日本の技術者は、西洋から見ると神になろうとしているように見えるのかもしれません。 キリスト教徒には「全知全能 は唯一、神だけである」という文化があります。 神に近づくにはそれなりの負担が必要という彼らの基本概念は、日本の文化と根本的に違うのです。 日本人は死んだら だれでも神様か仏様、八百万の神々の国ですから、違って当たり前ですね。

 

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