食品工業の失敗学

はじめに
食品工学を学んだ人向けに書いてあります。 なるべくやさしく平易に書いていますが、素人さんにはちょっと難しいかもしれません。 判りやすくするために、事実と違うことが含まれている話もあります。

「良い色」って? なんなの?

ある会社。 売り上げを伸ばそうと、海外の系列会社に日本向けのミートソースの製造を依頼しました。 
この計画を実施するために日本から製品開発の男が送りこまれてきました。 
今回はこの男のやらかした、凄い事。  

この男、入社以来日本の工場で製品開発に当たっていました。 はじめて外国の工場で仕事をする事になったわけです。   
数ヵ月後、製品設計は一応出来上がり、ミートソース缶詰は出荷され日本で売り出されました。 そして嵐のような苦情がわきあがったわけです。 

お客様曰く 色の濃淡のバラツキがある。 味の差が有りすぎる。 ゴムのかけらが入っている。   今も昔も日本人は尊皇攘夷で、日本が世界一だと 思っているから、「とんでもない海外工場を検査して来い」と言う命令が私のところに来ました。  

「しかたねぇなぁ」と出かけていって、まず工場内の検査。 書類、設備、とも、まぁまぁ悪くない。 当然改善な必要な場所はあるけれども、致命的ではない。 平均的に見れば日本の食品工場より遥かに綺麗だし、完璧ではないがよく運営されている。   次に、製造方法と原料を書いたレシピシートをみて驚いた。

 原料
 牛ひき肉10mm挽き ○○キロ
 玉ねぎ5mm カット ○○キロ
 トマトペースト コールドブレーク ○○キロ
 食塩 ○○キロ
 以下略

 製法
 玉ねぎはいい色になるまで炒める 
 ひき肉とトマトペーストその他を入れ、水を足して80度まで加熱する。
 缶に最低300g 詰めて殺菌する
 最終製品規格 ミートソースらしい良い色。 トマトの香りの良い事。    

何が悪いのか?

苦情の山の原因は工場ではなく、日本人開発担当 者の書いた商品設計書(レシピシート)の不良が原因でした。  
原料規格の不備   トマトペーストは、トマトを粉砕濃縮したもの で、ミートソースの赤みの元になり、また酸味の元になります。 
ところが、トマトペーストに原料規格が無かった。 工場は原料規格の指定がないので、在庫 で余っているペーストを適当にあわせて使った訳。 これは工場の怠慢ではなくて、設計者の手抜かり。 
この開発担当は、日本の工場の原料担当が、どれだけ苦労して均一な色や甘みのペーストを集めているか理解していなかったのです。 だから、トマトペーストとだけ書けばよいと思ってしまった。

ひき肉。

ひき肉を大きくして差別化を図ったのが、この製 品の「売り」の企画だったのですが、その工場にある肉挽き機(Meat Mincer/チョッパー)は切れ味が悪く、更に安い部分の肉を原料に使った為、やたらとスジが多い、スジは肉挽き機の切れ味が悪いと、製造後まるでゴムの板のようになって残ります。 これがゴム片混入苦情の原因でした。 さらに、肉牛の詳細を指定しておかなかった為、 去勢オス牛等の臭い肉などが原料に混入し、異臭クレームが発生していました。  

これは、牛の品種を指定し、老廃牛の肉を使用し ない等の対策で異臭をなくしました。 また、1ヶ月に一度だった肉挽き機の刃の研磨を生産ごとに研ぐようにしまし た。 最終的には、近所の食肉工場のフローズンミンサーと云う冷凍肉をそのままスジごと、ひっくるめて挽き肉にできる機械で挽く事で、スジが残らないようにしました。   

不完全な作業基準書

「玉ねぎが良い色になるまで炒める」とは一体ど ういう意味だかわかりますか? 人によって良い色と思う色は異なります。 玉ねぎを炒めている作業員の「これはいい色だ」という個人差が、最終製品の味や 粘度、見栄えのバラツキに直結したわけです。  「蒸気がまの温度を何度に設定して、攪拌装置の 速度を毎分何回転に設定、何分間炒める」 と書けば、毎回ほぼ同じ結果が出てきます。 作業指示書には結果だけを書くのではなくて、「どう作業したら、そ ういう結果が出るか」を詳しく書かなければならないのですが、これが全く出来ていなかった。  この、どうしたら?と云う要素をKPI = Key Performance Indicatorと呼びます。 
すっかり普及したHACCPはこのKPIの積み上げられたものです。 HACCPの世界では重要なKPIをCCP(重要危害管理点)と呼びます。  

意味の無い最終製品規格

最終製品規格の色の項目には「ミートソースらしい良い色」と書いてあります。 いい加減にしろ!ですね。 いい色って何? 鮮やかな黄色に近いオレンジ色 のミートソースが好きな人、赤黒い色のミートソースが好きな人、人それぞれです。 それぞれの人が「これはミートソースらしい良い色だ」とやっているか ら、作る度に色は異なっていたわけです。 最終製品の色は、反射式カラーメーターで規格を 作れば、L,a,b数値制御できます。 明るさ成分はこの範囲、赤さ成分はこの範囲とすれば、誰が見ても許容範囲 が判ります。 「良い色」の感じ方は、証明の種類、皿の色、人種、瞳の色で全く違ってきます。 TVモニターの画面 の最適調整が日本人向きとドイツ人向きでは異なるのといっしょです。  
以上のような、原料規格や作業規格での基準の説 明に対する怠慢と不備が、品質の不安定を発生させていたのです。 工場側は、その製品規格書に疑問を持たなかった のか? その工場の人々は、製造指示書や最終製品規格が数値的に書かれていないのを見て、不思議に思っていました。 しかし、「これが日本式なんだろう」と思って、特に疑問を差し挟みませんでした。  ですか ら、日本側から苦情をもらった時「全て基準通り出来ているのに、なぜ文句言われるんだ?」と感じてしまった訳です。 料理の工夫と加工食品の開発は似て非なるもの。

加工食品の開発と言うものは、「お料理」ではありません。 まだ、多くの食品会社で、お料理が好きなだけの栄養学科卒の坊ちゃん嬢ちゃんを、製品開発に採用していますが、これは大きな間違いです。 
(栄養学科の全てが悪いとは言いませんが、食品加工学、微生物学の初歩すら教えていない学校のいかに多いことか。。  
ま、だから栄養士ばかり採用する学校給食センターで食中毒がホイホイ発生するのか?  E.coliO157大流行の時に、缶詰食品の大腸菌検査証明を求めてきたのも、この手の人々が大多数でしたから、基礎微生物学すら学ばせていないのが日本の栄養士教育なのでしょう。)  

料理は「科学」。 

加工食品製造は言うまでも無く「工業」です。 科学を無視したメニューの考案は、工夫した本人は面白いでしょうが、美味しくないし、見栄えも悪く、さらに食あたりの危険性も高い。 
昔から続く伝統食品は、先人たちの経験則が積みあがって出来てお り、科学的に検証すると「なるほど!」と思うことが多々あります。 
昔の人たちは科学は知らなくても、人が死んだり、不味くなったり、逆に美味しくなった りする手法を経験的に学んでいたわけです。 

いま、私たちは伝統手法を「なぜ、そうするのか?」を科学的手法で理論として理解できます。 いきなり、その 科学的理論から逸脱すれば、よい結果は得られません。 まして、企業としての加工食品の開発は、まず第 一に安全な食品を工業的に安定した生産が出来る設計にしなければ、会社が成り立ちません。  製品開発と云うものは、「真の美味しさを知って いる上で、手に入る原料で、利用可能な機械で、いかに良い製品を手間無く、安い値段で作るかを考える事が出来る人」にしか出来ない仕事です。 これは真の車の運転の楽しみを知ったうえで、幅広い工業知識を持った人でなければ良い車が開発できないのと、似ています。    

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