食品工業の失敗学

はじめに
食品工学を学んだ人向けに書いてあります。 な るべくやさしく平易に書いていますが、素人さんにはちょっと難しいかもしれません。 判りやすくするために、事実と違うことが含まれている話もあります。

イタリア製缶詰爆弾

90年代のある日、とある東京に事務所を置く食品会 社のマーケティング担当の男。 系列会社であるイタリアの缶詰会社が野菜缶詰を生産している事を発見しました。 
当時イタリアンレストランは大流行、イタ リア野菜の供給が追いつかず、缶詰のミックス野菜は大きなビジネスが期待されました。 早速この男は、イタリアから航空便でサンプルを 取り、営業所やお客さんに配布し反応を見ました。 
人気は上々。 早速コンテナ満載の缶詰野菜がイタリアに発注されました。 貨物が日本に上陸した頃、東京港の倉庫から、こ の男に電話がかかりました。 曰く「缶詰が膨れてますけど」。

この会社の品質保証部門は、このとき初めて膨ら んだ缶詰の話題とともに、この製品の販売計画を知らされました。 知らされたのがこの私。 常日頃、やかましく、お馬鹿な商品企画を葬り去っていたので、 邪魔に感じたのでしょう。日本の系列工場の技術者に、お知恵を拝借して、大丈夫だから輸入しようと、秘密裏に製品企画と販売を始めてしまったのです。

とりあえず、その缶詰の熱殺菌条件を見ると、法 律には触れないけれど弱すぎ というレベルでした。  こういう場合、営業の人々と言うのは、「人が死 なないなら売りたい」と云う立場をとる事が殆どです。 営業販売の人々が「お客様にご迷惑をお掛けするから、出荷を止めよう」なんていうのは、社内政治で 生産部門を吊るし上げたい場合が殆どで、販売の人が何より怖いのが「欠品」、商品が届かない事です。 

日本の商習慣上、欠品は起こしてはいけない反則 です。 欠品が起きれば、反則金は取られるし、お詫び行脚もしなければいけません。 ですから、「客が死んでもいいから出荷したい」と云う発言も営業部署 からは聞かれます。  さて、死人が出そうも無いけれど、ガス膨張の可 能性がある製品である事が判ったその製品はどうなったか? 何十トンの缶詰を捨てるに捨てられず、そのままレストランへ売られていきました。 そして数ヵ 月後、倉庫は返品の山となりました、実際の膨張率は1000缶に1個以下でしたが、日本では苦情率10万缶の1缶でも、「苦情が多い製品」というとられ方になります。 これが日本の缶詰食品マーケットの要求 水準です。
このイタリア野菜の缶詰は、結局苦情の山を抱え ながら7年も赤字を築きながら売られました。 

三菱自動車の件でも判りますが、一度市場に出す と日本の会社は引っ込みが付かなくなるからです。 「やめよう」と言えない日本人 

何が間違っていたのか?

基本的原因は、製品設計が日本で売る為の条件を 満たしていなかったという事になります。 ここで、大事な事は、完全殺菌が保証された食品はありえない ということです。 今、皆さんが、どの程度の微生 物学を学ばれたか私は知りませんが、とりあえず、最強の食中毒菌の名前くらいは知っているでしょう。

ボツリヌス菌です。 こいつの毒は微量で良く効 く神経毒で、さらに芽胞が耐熱性を持っていて、100℃で1時 間くらい煮ても死にません。 世界的に121℃で3分、 日本の法律では1204分で加熱すると、 12Dと言ってボツリヌス菌の生存確率が1012乗 分の1に減らせます。 ゼロにはならない。 ま、そこまで減らせば、実質問題ないだろうとい う経験則で、これらの基準は設けられています。 しかし、細菌のなかには、深海の海底の熱水が噴出しているところに定着して活動している種類もありまし て、これらは130度くらいで平気で生命活動をしている。 これは極端な例でも、野菜には120℃で8分、110度なら80分加熱しないと、十分に殺菌できない 耐熱細菌が普通についています。 そこで、日本の普通のpH中性に近い缶詰は最低でも製品の中心部 が120℃で10分加熱されるくらいの熱エ ネルギーを製品に掛けています。 
それでも、缶詰の中には耐熱細菌が生き残っていますが、これらの生き残りは50度 くらいにならないと、生命活動できないのです。 日本の常温、だいたい35℃以下でしたら育たな い。 だから製品が変質しない。  これを商業的殺菌と呼びます。  滅菌の世界では完全滅菌には、燃焼させるくらい しか方法が無いというのは、皆さん習ったとおりです。

説明が長ったらしいですが、そのイタリアの缶詰 は、本来は北ヨーロッパの涼しいところで、製造後1年以内に消費されていました。 その為、殺菌条 件は、法律を満たすギリギリの弱い熱エネルギーしか掛けられていませんでした。 つまり、耐熱菌が一杯残っていたけど、普段は涼しいヨーロッパ北部で流通 していたから、耐熱細菌がガスを産生させず膨張も無かったのです。   ところが、この製品の設計が予期していない事が 起きたわけです。 殆ど全てのヨーロッパからの輸入加工食品は、地中海、インド洋、マラッカ、西太平洋、を経由して1ヶ 月以上かけて赤道周辺の海域をやってきます。 海水温でさえ40℃。 

最近の物流はコンテナを使い ますが、コンテナ内の温度は下甲板に積載しても30度を超え、上甲板で直射日光に当たれば70℃を越します。  そのような場所で、1ヶ月も、さらに貨物船は左右に15度くらいずつ揺れ ながら来ますから、まるで振騰培養。 好熱細菌の培養条件としては絶好のコンディションです。 かくして、そのイタリアの缶詰は膨張した訳で す。 いちど発芽して活動を始めた耐熱細菌は、ある程度温度が下がっても活動を続けます。 そうして、日本へ上陸後もあちこちで爆発し続けたわけです。

ちなみに皆さんが、ありがたがって飲んでいる、 フランスやドイツのワインも、安いものはこういうひどい環境で送られてきます。 高いものは冷蔵コンテナを使っています。  煮えたワインを有難がって飲 んでいるのは馬鹿みたいですね。

さて、どうしてこの様な商品の販売が事前に防止 できなかったのか?  当時の、その会社には、製品開発または製品輸入 に際して品質保証部門のサインが必要なかったのです。 
当時、その会社では、クレーム退治の為に品質保証が出来たばかりで、事故予防まで手が回らなかった のも事実です。 次に、日本のマーケティング担当とイタリアの輸出担当がまともに、理解しあえる言語を持たなかった事です。 
つまり両方とも英語が話せなかった。 会話が出来なければ、製品の要求水準がどの程度か判る わけもありません。 

そして、日本のマーケティング担当の男が、缶詰 の品質規格は世界共通だと思っていたことです。 日本は第二次大戦後、魚缶詰の輸出で外貨を稼いだ時代があって、世界中に良い製品を輸出する為に、非常に 殺菌技術が進みました。 しかし、世界標準で見ると、そのような進んだ国は、そうそうあるものではありません。 つまり独りよがりの判断が輸入する側に あったわけです。 日本の常識が世界に当てはまると思ってはいけな い。  

さてどうすればよかったのか?

まず新製品を発売する際の品質保証システムがで きていなければなりませんでした。 会社は、個々の専門性を持った人が協力して運営するものです。 カリスマが一人居て何とかやっている会社は、すぐつぶれます。 品質保証とは技術者がメインですが、財務、サプライチェイン、営業などの面子がそろって、お客さんと株主に迷惑をかけないようにしましょうと言う仕組みです。
チームワークのできていない会社は将来がありま せん。
単純に技術的には「製品の殺菌条件を強くするべ きだった。」 ところが強い殺菌は、風味を悪くします。 風味 が悪ければ、よその会社の同種の缶詰と同じで魅力がありません。 つまり、この商品はもともと日本で売るのは無理な商品だったのです。
売らなければ良かったのが正解。
どうしても売るためには、日本の厳しい環境でも 耐えられる製品の加工方法で、それなりのテクニックがあります。 詳しくは食品保蔵学を勉強しましょう。
参考

C. botulinum の殺菌条件(=12D)を満たす為の時間と温度の組み合わせ。 但し、対象製品の冷点での条件。 (日本国食品衛生 法食品衛生法準拠)
150℃ 0.24秒
140℃ 2.4秒
130℃ 24秒
120℃ 4分
110℃ 40分
100℃ 400分 = 6時間40

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